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繊維機械部
上田 哲也
UEDA TETSUYA
立命館大学 経済学部 国際経済学科卒 2015年入社
高校生の頃から海外で働くことに憧れがあり、大学では国際経済を専攻。就職先は商社を志望していました。中でも、ある分野に特化したスペシャリストになりたいと思い、豊通マシナリーのような専門商社を希望しました。選考を通して、一緒に働きたいと思える社員がたくさんいたことと、海外で活躍できるチャンスが多いということが、入社の決め手になりました。
現在は繊維機械部に所属。布を織る織機と、糸を紡ぐ紡績機械を世界中に販売しています。私の所属する第2グループは、東南アジア、南アジア、中央アジア、アフリカ諸国などが対象で、私はインドネシアやフィリピンをメインに、日系企業やローカル企業を担当しています。月に一度、1~2週間現地に滞在し、定期的にお客様のところを訪問しています。特にインドネシアに関しては、繊維機械を扱う現地スタッフがいないため、自ら動かなければなりません。お客さんのアポ取りも、メーカーとの同行の調整も、自らが主となり進めていかなければなりません。日本から遠隔で手配を行うこともあります。もともと海外での仕事を望んでいましたが、まさか入社2年目からこれほど広い範囲を任されるとは思っていませんでした。何もかも自分でやらなければならない大変さに加えて、責任も大きい仕事ですが、別の見方をすれば、自分で考えてチャレンジできる環境でしたから、飛躍的に成長できたなと思いますね。
繊維機械の市場のほとんどは、国としてこれから発展していこうとする国々が多いです。現地に行くことで日本との文化や環境の違いに刺激を受けることが多く、我々の機械が現地の人たちの「衣」を支えているのだと思うと、その役割の大きさをあらためて痛感します。そんな中、1年ほど前のこと。インドネシアにある新規のお客様に、当社が取り扱う繊維機械を販売したいと思って訪問しました。通常は、メーカーの担当者と同行し、契約を取るというスタイルが一般的ですが、この時は私一人。初めての一人きりの商談でした。相手は現地のインドネシア人で、お互いに拙い英語でのやりとりになりました。まずこちらが出す見積もりに対し、お客様からは、高いからこの価格にしてくれと。その価格で今度は日本にいるメーカーに電話で製造可能かどうかを打診。どこまで下げられるかを聞いた上で、再度価格交渉に臨む。そんなやりとりが何度も続き、なかなか話がまとまりません。ただ初めて一人で挑んだ契約でしたので、「どうしても取りたい!」というその一心で商談を続け、気づいたら5時間が過ぎていました。最終的に契約に至り、嬉しかったのですが、それ以上に胸が熱くなったのは、日本にいる先輩が商談が終わるまで待機してくれていたことです。初めての一人の商談に緊張する私の背中を「行って来い」と押して下さり、わからないことがあった時などの連絡には随時応えてくれ、遠隔で的確なアドバイスをしてくれました。契約が取れたことを最初に報告すると、自分のことのように喜んでくれたことが何より嬉しかったです。
私たちは、メーカーとお客様との間に立って、双方のニーズに応えられるよう、常に情報を収集し、的確なレスポンスが求められます。海外では国によって言語も考え方も当然異なります。特にインドネシアの場合は、英語の訛りが激しく、理解できないことがよくあります。基本的な語学力を身につけることはもちろんですが、現地でできるだけコミュニケーションを図り、慣れるしかありません。その上で、相手がどういう人かを見極め、どうアプローチしていけば良いかまでを考えていかなければなりません。こうした力をつけるには、経験がすべてです。そのために、上司からは常に「失敗してもいいからやってみろ」と言ってもらえることがありがたいですし、何か困りごとがあればすぐにサポートしてもらえますので、思い切って行動できることが、経験値を高めることにつながっていると実感しています。